FLOATING JAMの『元祖・浮いたり、沈んだり。』

FLOATING JAM & FJスズキ の 『日常と非日常』、旧ブログ保存版

No Hair !

以前 知人が、「ビールは嫌い」だと言った。
私としては特にそのことに感心があったわけではないが、とりあえず会話の流れで、
 「何で?」
と訊いてみた。
その答えは、
 「苦いから。」
だった。
私は、
 「何で~? 苦いからうまいじゃん!」
と ほぼ反射的に言ってしまってから、はたと気付いてその話題を終わらせた。

普段はほとんどアルコールを口にしない私ではあるが、よく言われる「風呂上がり
の一杯」の妙を知らぬわけでもない。銘柄とかには一切こだわりはないが、ビール
のうまさを語る資格が無いとも言えまい。
しかし、問題はそこではなかった。

あくまでお互いが感じる『苦味』が同じものだという前提に立たないと話はそこで
終わってしまうのだが、この『同じ苦味』に対して一方は
 
 「苦い」=うまい=好き

対してもう一方は、

 「苦い」=まずい=嫌い

という、『正反対』の感覚・感情を抱いているのであった。

こと、酒については嗜好品なのでムキになって説得して好きにさせる必要もないし、
逆にこれを努力してまで好きにならなきゃいけない理由もない。
これ以上この話題に踏み込んでみても、全く不毛な押し問答に陥るだけに違いない。
なぜなら、どちらにとっても「自分は絶対正しくて、相手は絶対間違っている」か
ら。
ならば、お互いを『ビール好きな人』・『ビール嫌いな人』と認め合って終われば
それでよい。


似たような事例で、
 「目玉焼きには『醤油』か? 『(ウスター)ソース』か?」
という、不毛押し問答界の代表格がある。
(議論ではなく、押し問答。)

私が実際に目撃したのは「魚フライ」のケースであった。
かつて 会社の昼食の給食(仕出しの弁当)に魚フライが出ると、同じテーブルを囲
む同期連中の間でこの不毛な押し問答が繰り返されたものだった。

醤油派は、
 『魚』だから「醤油」だ!
ソース派は、
 『フライ』だから「ソース」だ!(『てんぷら』なら「醤油」という理屈らしい)
と、お互いに一歩も譲らない。
どういうわけか相手より頭一つ上に出たいという心理が働くらしく、何とかして相
手をやり込めてやろうと必死 かつ不毛な押し問答が繰り返される。

そんな押し問答を後目に見ながら、「基本的には何もかけない派」の私は、

 「そもそも、反射で なんでもかんでも醤油だのソースだのかけてんじゃねぇよ。」

と心の中で冷ややかにヤツらを嘲笑っているのであった。

だってそうでしょう。
例えば、

 友人宅におよばれに行ったら「魚フライ」が出た。
 食卓には醤油しかなかったが、普段からソース派の自分としてはそこは譲れない
 と思いソースを所望した。
 それに対して友人は
  「『郷に入っては郷に従え』だ!」
 と言って烈火の如く怒った。

とかいうシチュエーションなら押し問答にもまだ意味があると思うのだが。
どちらでも自由に選べる状況で、自分の好きな方を選んで使えばそれでいいじゃん。
なんでそれを他人に強要する必要があるのか。


人はお互いを分かり合う努力はした方がよいのかも知れないが、不毛な押し付け合
いをするくらいなら むしろ関わらない方がお互いのためなのではないか。
『理解』はできなくても、『多様性を認める』ことで もう少しだけ平和になれるん
じゃないのか。


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で、なんでこんな話なのかというと、次回ネタ(予定)への布石です。

理解・賛同はできないからといって「決して石は投げないでねっ!」という予防線
を張っているわけなのですよ。(苦)


あ、因みに、冒頭の知人は今ではフツーにビール飲んでます。