FLOATING JAMの『元祖・浮いたり、沈んだり。』

FLOATING JAM & FJスズキ の 『日常と非日常』、旧ブログ保存版

35年前の忘れ物を取りに行ったので。

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静岡駅北の「駿府博物館」にて開催中の

 『山下清 放浪の天才画家』

に行ってきました。


山下画伯といえば、

 ・TVドラマ『裸の大将放浪記』での芦屋雁之助(現在は、ドランクドラゴン
  塚地武雅)が演じる役柄のイメージ。(ちゃんと通しで見たことないけど。)
  & その ものまね をする人のイメージ。

 ・たま~に雑誌などでみかける、打ち上げ花火の貼り絵作品。

くらいの認識しかなかったので、今更ながらではありますが かなり新鮮でした。


駿府博物館」のわりに入場料1,000円とは なかなか いっぱしの値段を取るじゃ
ないか、などと思ってたのですが(シツレイ!)、なかなか見応えあり。
開館同時の朝9:30に入って、一通り観終わって気付くともう11:00!!
しかも、背後を振り返ってみると「駿府博物館」とは思えぬほどの大盛況ぶり(再
シツレイ!!)。老若男女で大混雑です。
どーせ「駿府博物館」だから10:00くらいにぼちぼち出かけて行っても余裕だろう
とも思ったのですが(再々シツレイ!!!)、朝一で正解でした。
(逆に夕方の方が空いてるかも。)


主に年代順に並べられた作品群を観ると、その技術の向上ぶりや描く対象の変遷が
よく分かってなかなか興味深いです。

いずれにしても貼り絵作品の緻密さにはもう圧倒されまくり。
作品の褪色が進んでしまっていることもあり、『生』でないとなかなかその緻密さ
が伝わりにくい状況になってると思います。
(とか言いながら図録はしっかり買いましたが。)

作品と併せて画伯のプロフィールや本人のしたためた『放浪記』のノートも展示さ
れてますが、ホントに放浪してたんですね~。

あと、晩年の「東海道五十三次」のペン画に添えられたコメントが何ともイカして
いて、思わず笑っちゃうものもけっこうありました。


超有名になってからは、TV番組にレギュラー出演もされてたらしい。
ドラマとかのイメージは「かなり脚色された架空の人物像」なんだろうと思ってま
したが、大衆が本人を目にする機会は少なからずあったわけで、むしろその大衆の
持つ実物のイメージに忠実だったのかもしれないな~という気がしてきました。



これまで『山下清』に縁がなかった私ですが、とはいえ、山下清と聞けば思い出す
35年前(!)のある出来事。

実は、35年前、母親といっしょに山下清展を観に行くはずだったのですが・・・。

隣町の 磐田市の市役所(だったか 少なくとも市の関連の施設)で山下清展がある
とのことで、小学2年生の私は母親に連れられバスに乗って会場に向かったのでし
た。
当時、休日といえば日曜日。
日曜日だったからなのか、あるいは他に突発的な理由があったのかは覚えていませ
んが、なんと その日は展覧会はおやすみ。
母親がものすごく残念がっていたのを覚えています。
山下清の絵については、その時 母親から「ものすご~く細かい貼り絵の作品」であ
るという話を聞いていたくらいで、そんな認識のまま今日まで35年間過ごしてきた
のでした。

年譜によると、山下画伯の没後3年くらいの時期。
普段はあまり積極的に「お出かけ」などしない母親があえて出かけて行こうと思っ
たということは山下清にそれなりの思い入れがあったからだと思うのですが、それ
もその後 特に確認したことはありません。

私はといえば、その「山下清の絵が観れなかった」ということを題材に学校で作文
を書いた記憶があります。
さすがに内容は覚えてませんが、どうせ私のことなので観たこともないのに

 「ぼくも山下清のような画家になりたいです。」

とか書いたに違いない。いや絶対書いてるな。
概ね そんな人生なので。


『35年前』と一口で言いますが、実は その時生まれたばかりの赤ん坊が既に35歳
になってるわけで・・・。

と、↑ この表現を半ばギャグのつもりで書いてみましたが、逆に妙なリアリティー
というか、生々しい重みを感じてしまいました。
その当時、まさか自分が「35年前」を語れるほど歳を取るなんて、全く想像もでき
ませんでしたが。


もしあの時『山下清』に出会っていたら、またちょっと違った人生を歩んでいたか
も・・・、というのは大袈裟にしても、今日 改めてこの先の人生にビミョ~な変化
をもたらすきっかけになったのではないかと。(どうでしょう?)

あ、でも その帰りにおもちゃ屋で買ってもらった、当時発売間もない タカラの
ミクロマン』がその後の私の人生に少なからぬ影響を及ぼしたというのは間違い
ありませんね。