FLOATING JAMの『元祖・浮いたり、沈んだり。』

FLOATING JAM & FJスズキ の 『日常と非日常』、旧ブログ保存版

猟奇的な秋 (恐らく前編)

会社帰りによく寄るスーパーの店内で、秋にちなんだ唱歌やら童謡を集めたCD
がかかっていた。
(あるいは有線放送だったかも知れないが、まあ、それは本題ではない。)

その中の1曲として、「秋の歌と言えば・・・」の定番ともいえる

 『ちいさい秋みつけた』

が流れた。


この歌を聴くと蘇る、あの遠い 幼き日の記憶・・・。


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私がこの歌を初めて聞いたのは5歳の秋、幼稚園のいわゆる「年中組」に属して
いた頃。
そこまで具体的に言い切れるのは、忘れたくても忘れられない理由があるから。


その年の10月から11月のころ、子供心にも何となく秋のもの悲しい空気を感じ
させるあのメロディーが、隣の「年長組」の教室から何度も何度も聞こえて来た。
教室の壁越しに こもって聞こえる唄声。
その歌は、私には

「だれかさんが だれかさんが だれかさんが みつけた」
「ちいさいあし ちいさいあし ちいさいあし みつけた」

と聞こえた。


 『小さい足』!!


当時の私がここから想起したビジュアル・イメージは、決して笑い事では済まさ
れない衝撃的なものであった。

・野原で遊ぶ子供たち。ふと見ると、草むらからのぞく白いハイソックスに包
 まれた(女の子の)「小さい足」。その足の先には小さい赤い靴が・・・。

何か心がざわざわする ただならぬできごと。
不幸にも 偶然これを見付けてしまった「だれかさん」の背負った闇。
足音を忍ばせて背後ににじり寄るがごとき、重く悲しいメロディー。
背後に何かの気配を感じても、恐怖のあまり振り返れない・・・。


次の年、自分が年長組になって これが秋の歌だと知った。
が、しかし。
そこに実際に詠われていた歌詞は、私の中に湧いた陰鬱なイメージを払拭する
どころか、より重く深く心の底に閉じ込めてゆく作用をもたらした。


以来、私の中ではこれらのイメージが融合して

・紅葉の深まる薄暗い森の奥。地面に積もった落ち葉の中からのぞく白いハイ
 ソックスに包まれた(女の子の)「小さい足」。

という脳内ビジュアルに変化を遂げて今日に至るのであった。

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直接の因果関係の説明になるのかどうかは分からないが、幼い私がこんな想像を
したのには、それなりの下地があったのだと思っている。

このころの私は、ある人形が恐かった。

当時、実家のすぐ近所にある親戚の家に、俗に言ういわゆる「フランス人形」が
あった。
クラシカルなひらひらのドレスとくるくるっとした巻き毛が特徴で、当時の私に
とっては自分の背丈の 3分の2 ほどもある巨大な人形。
その人形はガラスケースに収まってテレビの上に飾られていたのだが、どうにも
恐くて近寄ることができない。

当初 大人たちはそんな私を見て面白がっているだけだったのだが、私があまりに
怖がるので叔母がその人形を奥の納戸へと移してくれた。
ところが、暗くて何となく じめっとした納戸に佇むその人形の姿は、部屋の仕切
りのガラス窓越しに、隣の部屋から丸見えなのであった。
それは かえって私の恐怖心を煽るもの以外の何ものでもなかった。
決して視線を合わそうとはしないが、アイツは確実に私の存在をその視野の端で
捉えている。
人形は、明らかにそんなオーラを私に向けて発し続けていたのであった。


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う~ん、どうでしょう?


そもそもは幼少の頃の他愛無い『空耳ネタ』程度の話。
あくまで私の内部的な話なので特に証明のしようもないですが、実話です。

こんな体験が私の人格形成に大きく陰を落としたと言えるかもしれない。
あるいは、既にそういう人格だった子供がそのまま大人(か?)になってしまっ
たというオチでしょうか。


これだけだと単にあぶない人で終わってしまいますので、遠からず 後編もやり
ます。多少は自己フォローになると思いますので。
では、お楽しみに。(笑)